参道の入り口です。白虎隊士のお墓のある山頂はここからでは、おぼろげにしか望むことは出来ません。
階段とスロープ(有料)があります。ゆっくりと階段で登るも良し、楽に上れるスロープもご利用下さい。また、左側には白虎隊記念館(史料館)があります。
正面には十九士(日新館出身・飯盛山にて自刃)のお墓があり、その右側には会津各地で戦い、無くなった白虎隊士31名のお墓があります。
この碑は会津戊辰戦役で自刃または戦死した婦女子200余名の霊を弔うため昭和3年4月に旧藩士山川健次郎氏等の篤志家によって建てられた顕彰碑です。
白虎隊士の精神に深い感銘を受けたローマ市から昭和3年にローマ市民の名をもってこの碑を贈られました。
この碑は戊辰戦争の際に会津藩を盟主と頼み、各地で転戦して若松城で白虎隊と共に籠城戦に参加し、憤死死闘した美濃國郡上藩校凌霜隊の霊を慰めるために建てられた碑です。
白虎隊士自刃者中ただ一人の蘇生者、飯沼貞夫氏のお墓です。白虎隊の実録は氏の証言により、現在伝わるほど詳細に伝わったといわれています。
戊辰戦争時、各地で苦戦を強いられた白虎隊士たちはこの地にまで落ち延びた後、市中火災の模様を鶴ヶ城落城と誤認し、自刃しました。今でも市内を見渡せば、鶴ヶ城を望むことが出来ます。その際は紅白のポールを目印にしてみてください。
左に行けば、行きに上ってきた階段、右に行けば階段の無い下山道となります。道中は会津を一望することが出来、また、この道はさざえ堂や厳島神社につながっております。
ちょうどこのポイントから、鶴ヶ城を見ることができます。ゆるやかな下り坂なので、ゆっくりと会津の風景を楽しみながら歩いてみてはいかがでしょうか?下山道の終点には休憩所もございます。
この堂は1661〜1672年に建立され、会津藩3代目藩主松平正容公が弁財天像と共に、五穀の神、宇賀神をも奉納されました。
平面六角形の特異な建物です。概ね三層構造ともいえますが、内部には二重らせん構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在します。入口から斜路を最上階まで上り、他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて出口から出ることができます。 拝観料 大人:400円 大学生:300円 高校生:300円 中学生:200円 小学生:200円
厳島神社は会津の領主芦名直盛公の時代に建てられました。また、飯盛山の別名弁天山の由来にあたります。永徳年間(1381~1384)に建立されました。後に明治になってから、名前を厳島神社と改めました。
戊辰戦争時、白虎隊士中二番隊は戸の口原に布陣している味方軍応援のために派遣されましたが、戦に利がなく、城の安否を確認するために隊士20名が通過した洞穴です。